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東京高等裁判所 昭和60年(う)1254号 判決

本籍

韓国

住居

東京都荒川区東日暮里六丁目二一番五号

無職

吉永裕光こと

金丞泰

一九二五年四月二二日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六〇年三月二二日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官土屋眞一出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人仁科恒彦、同高木一、同中村源造連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官土屋眞一名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、被告人を懲役一年二月及び罰金一億円に処した原判決の量刑は、罰金額が過大であること並びに懲役刑及び罰金刑について刑の執行を猶予しなかった点で重過ぎて不当である、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討すると本件は営利の目的で、継続的に株式売買を行うことを業とするかたわら不動産賃貸業・貸金業を営む被告人が、所得税を免れようと企て、株式売買につき仮名取引口座を分散開設し、これらの口座を利用して仮名取引を行うなどの方法により、昭和五三年、五四年の二年度の所得税につき、実際総所得金額及び分離長期譲渡所得金額の合計が一〇億一九二八万七九九九円であったのに、そのうち一〇億一二六〇万一五四一円を秘匿して、これが六六八万六四五八円しかなく、これに対する所得税が六〇万二六〇〇円である旨記載した虚偽の所得税確定申告書を提出し、その結果、正規の所得税額が七億二一四九万四五〇〇円であったのに、そのうち七億二〇八九万一九〇〇円の所得税を免れた事案であるところ、(1)対象年度の二年間の逋脱税額が七億二〇〇〇万円余にものぼる巨額であること、(2)総所得金額のうち大部分を占める株式の売買取引によりあげた莫大な利益については全く申告していないこと、(3)分離長期譲渡所得についても所得秘匿率は八八パーセント強であること、(4)不動産賃貸業からあげた不動産所得、賃金業からあげた利息等の所得についても所得の一部を秘匿するなど、所得の秘匿は所得全般に及んでいること、(5)全体としてみても、所得申告率は昭和五三年分約〇・七パーセント、同五四年分約〇・六パーセントといずれも一パーセントにも満たず、申告税率も同五三年分約〇・〇七五パーセント、同五四年分約〇・〇八八パーセントといずれも〇・一パーセントにも満たず極めて低率であること、(6)被告人は確定申告をするようになった最初の時から一貫して実際の所得とは異なる低い所得しか申告せず、不動産など相当の資産を保有するに至りながら昭和五二年までは年間一〇万円以下の所得税しか納付していなかったことや、昭和五二年には税務調査を受け貸金業に関する利息につき修正申告させられながら、翌五三年分についても貸金業の利息収入を除外するなどしている経緯からして被告人には納税軽視の態度が顕著であったといわざるを得ないこと、(7)株式売買益の秘匿手段は、多数の証券会社に仮名口座を分散開設し、これを利用して仮名取引を行う方法によったものであること、(8)取引が長くなった口座や仮名取引が発覚する虞が出て来た口座は廃止して別の仮名口座を新設して切り替え、また取得した現物株につき名義変更をしないで配当金受領の権利を放棄してまで購入者名を秘匿するなどの配慮をして取引主体としての自己の名前が露見しないよう努めていたこと、(9)本件脱税の動機に格別酌むべき事情はないこと、(10)被告人は、本件にかかる本税約七億二〇〇〇万円、重加算税約二億一〇〇〇万円等のうち、本税の一部として、昭和五六年一月に一億円を納税し、更に原判決言渡後に東京国税局に差押えられていた被告人所有の株式の一部を売却するなどして約二億〇七七一万円を納付するなどして現在までに合計約三億五〇〇〇万円を納税したものの、その余の本税並びに重加算税・過少申告加算税・延滞税・地方税等の各全額が未納となったままであり、その額も巨額であることなどを総合すると、被告人の罪責は重大である。

ところで、所論は、原判決は、本件の各目的脱税額の巨大さのみに目を奪われ、その実体の考察を怠り、申告納税制度の根幹をゆるがすほどの反社会性・反道徳性のない本件につき被告人に対し苛酷な量刑をしたとして、種々の点をとりあげて論難するとともに被告人には斟酌すべき情状がある旨を敷衍して主張するので、以下その主なものにつき検討する。

(一)所論は、仕手戦における利益は、仕手戦終了時すなわち手仕舞時においてはじめて損益が現実化するものであること、本件昭和五三年、五四年中の総売買益の約八割はクロス売買益を算入されたものであるが、クロス売買においては同一の銘柄の株式を同数・同価格で同時に売り・買うという建て玉の継続すなわち買契約を延長するにすぎず、その際計上される損益は単に帳簿上のものであることなどから、仕手戦途上の計数上の利益はその本質上中間的な擬制的評価益で真の所得すなわち資産の増加(キャピタルゲイン)といえるか甚だ疑わしいこと、評価益に対する課税は不動産の路線価格の値上りによる評価益課税がされないと同様課税されないのが当然であることなどからして、株式の売買利益に対する年度毎申告課税制度が実情にそぐわぬばかりでなく、その徴税技術上にも相当の無理があり、かかる点を量刑にあたって十分酌量すべきである、と主張する。

そこで、検討するに、仕手取引による総体としての損得勘定は、仕手戦終了時すなわち手仕舞によって確定するものであるにしても、これを個々の取引についてみれば、個々の株式の売買取引が行われた都度、それぞれの取引の損益が現実に生ずること、いわゆるクロス売買は、自分が相手となって同一銘柄の株式を同数・同価格で売り・買いを同時にするものであるが、それは所論にいうような買契約の延長にすぎないものではなく、さきに買い付けてあった株式を売り、それを自己が買うということであるから、さきに買い付けてあった株式を売るという点では現実に売買損益が出ることは明らかである。現に被告人は仕手戦による株式売買やクロス売買によって現実に多額の売買益を上げ、その都度この利益を全部株式取引に再投資し、多数の現物売買をして現物株を取得し、これを信用取引の委託証拠金代用証券として差し入れるなどして、更に大量の株式の信用取引を行い、株式売買を拡大して行くことによって昭和五三年、五四年のそれぞれの年末の時点で、現実に売買益を上げて多額の株式を保有するに至るなどして所得をあげていたのである。そうするとこの所得に課税することになんら問題はない。

また、およそ各人に帰属した所得の総額を課税事実として担税力を判定するには、必然的に一定の期間を劃してその期間に発生し実現した所得要因を総合計算することによってのみ把握することが可能であって、個人所得については暦年期間を単位とすることに定められている(国税通則法一五条二項一号)。そして、事業所得のように一定の所得要因事実が反覆継続している場合の所得を明らかにするには、一定期間を劃して会計学的計算において事業利益として把握しなければ、事業成果の認識は不可能である。そこで、所得税法二七条二項は、「事業所得の金額は、その年中の事業所得に係る総収入金額から必要の経費を控除した金額とする」と規定し、更に同法は、必要の経費の範囲につき、所得の発生原因が反覆継続する行為の事業形態から生じ、期間損益対応の計算方式によらなければ所得の計算が困難な場合と、所得の発生原因が単一随時的であって、個別損益対応の計算方式によることができる場合とに分けて規定し(同法三七条二項、三八条一項、三四条)、個人の事業所得における計算方式を、法人の企業所得に対する法人税法二二条の定める事業年度毎の計算方式とともに、暦年毎の期間的損益配分の原則により計算することを明らかにし(所得税法三七条一項)、それにより算出された所得に対し課税することとしているのであって、一定時点における手持所有株式等の資産の値上り益を評価してそれに課税するといったものではない。そうすると営利の目的で継続的取引として行われた本件株式売買から生じた所得が年度毎の申告課税の対象とされることになんら問題はなく、それが実情に合わないとか、徴税技術上無理があるとはいえない。(また本件は事業所得とされているのであるから、青色申告を行っていれば、純損失の繰越し(同法七〇条一項)繰戻し(同法一四〇条一項四項)が認められるのであって所論に引用する判例(東京地裁昭和四八年特わ第八号・同五六年六月二九日判決)は本件に適切でない。)

(二)所論は、原判決は被告人の脱税の犯意について悪意の偏向的認定をしているが、被告人は長年にわたって民団商工会に確定申告書の作成を依頼し、その指導に従って来たものであるところ、同商工会では単に前年の申告状況を参考にして、適当に申告書を作成するという方法をとっていて、実際の所得より少なく申告し脱税するのはあたり前といった雰囲気があったため、被告人もこのようなルーズな納税申告のしきたりに慣れ、また証券会社の社長らから株式売買による利益は申告しないのが通常で、税務署に発覚する虞もない旨説明されていたため、株式売買による利益は納税申告をしないのが通常の慣行であると解していたのであり、仮名による取引も脱税目的ではなく、株式投機の事実を同郷人や知人に知られたくなかったためや、仕手戦に参加していたためであって、被告人は仮名口座の開設・利用以外には不正手段をとっておらず、本件は著しく反道義的なものではないから、これらの点を斟酌すべきである、と主張する。

そこで、検討するに、被告人が長年確定申告書の作成を依頼していた民団商工会のルーズな納税申告の慣行に慣れ親しんできたことや、証券会社の社員の中には取引拡大や顧客誘引の手段として、株式売買による利益は申告しないのが普通であるとか、税務署に発覚する虞はないなどと顧客に告げる者がいて、被告人もそのようなことを言われたことがあること、被告人の仮名口座の分散開設・利用が脱税目的だけでなく、株式取引をしていることを他に知られたくなかったことや、仕手取引において仕手筋を隠す目的もあったこと、仮名口座の開設については原審共同被告人加藤暠(以下加藤という)の指示に基づきそれに従って開設したものが少なくないことがそれぞれ認められる。しかし、被告人は本件の各年分の確定申告をするにあたり、民団商工会の担当者らに申告書の作成方を依頼するに際して、本件の株式売買、不動産売買・賃貸、貸金等に関する真実の資料を提供せず、本件株式売買等による多額の所得は隠したまま同申告書を作成させて所轄税務署に提出していること、被告人は財団法人証券広報センター発刊の昭和五〇年度版「投資家のための税金対策ノート」、財団法人大蔵財務協会発行の昭和三七年版「対照式所得税法令通達集」等の書籍を読むなどして株式売買と税金についての知識・情報等を収集していたことが推認されること、被告人は長年株式取引に携わってきたものであり、本件係争年次において年間五〇回以上、二〇万株以上の株式売買による利益が課税対象となることは熟知していたこと、本件株式の売買取引・管理・運営の大半を加藤に全面的に一任していたとはいえ、株式売買の結果については、事後に同人から逐一報告を受けかつ売買報告書をも受領していて、取引の内容を熟知していたこと、そして加藤に一任していた口座分と被告人が独自に開設・利用していた口座分の両口座とも、各係争年度の株式売買の回数が五〇回以上、その株数合計が二〇万株以上をいずれもはるかに越えるものであって、株式売買益についても昭和五三年は、二、三億円を越え、同五四年はそれより更に多額の利得をあげたことを認識していたこと、開設した仮名口座には加藤とは関係なしに被告人独自で開設したものが数口座あること、その他前記認定の(4)、(6)、(8)の各事業などを総合すると、被告人が株式売買益の納税申告をしなかった理由が単に民団商工会の納税申告に対するルーズな雰囲気に慣れ親しんでいたためとか、証券会社の社員の甘言に乗せられたことによるとばかりはいえず、被告人は自ら主体的に株式売買益等の逋脱を図って行動したものと認められるのであって、右の雰囲気や甘言が被告人になに程かの影響を与えたにしても、それを過大視することは相当でない。そして、株式取引を他に知られたくないためには、売買報告書の送付を受けないで、証券会社の店舗に赴いて受領するいわゆる「留置き」の取扱いによりその目的を達し得ること、仕手合戦において仕手筋が取引の駆引として仮名を用いることが少なくないのが実情ではあるが、仮名取引は、脱税の手段となり易いものであることにかんがみ、健全な証券取引を育成する見地からみても好ましいものとはいい難いこと、現に原判決が指摘するように、有価証券取引税法の一部を改正する法律案を可決する際の衆・参両議院の大蔵委員会の付帯決議、日本証券業協会連合会長名義の傘下証券業協会代表者宛の通達、社団法人日本証券業協会会長名義の協会員代表者などに対する通達、ポスターの配布などにより、繰り返し架空・仮名名義による有価証券取引を排除し、本人名義によるよう努力すべきことを求め、その周知徹底方がはかられてきたこと、被告人自身、立花証券本店及び内外徳田証券本店では仮名取引を申し入れたものの、証券会社側の強い希望があって本名すなわち被告人の日本名である吉永裕光名義で取引したことなどを総合すると、仮名取引が株式取引における商慣習として許容されていたとはいい難いのであって、事実としてなお仮名取引が行われているとしてもそれは悪しき慣行として排除されるべきものであって、被告人の本件仮名口座の分散開設・利用目的が、脱税以外にもあったとしても、これをもって量刑上有利な情状とすることはできない。

(三)所論は、原判決は、株式売買の回数の認定について、所得税基本通達九―一五の行政解釈と異なる独断的見解により、過大に回数を認定することにより、量刑にあたって被告人に不利益に考慮している、と主張する。

しかしながら、株式売買取引が売買を行なう者の諸般の状況に照らし、営利を目的とした継続的行為と認められるものであるときは、その年に行われた取引について、所得税法施行令二六条二項に定める回数及び数量に達すると否とにかかわらず課税の対象とされるのであって(所得税法九条一項一一号イ、同法施行令二六条一項)、本件における被告人の株式売買取引が事業としての規模で行なわれ営利を目的とした継続的行為と認められるものであることについては、被告人において争わないところであり、原判決挙示の関係証拠によってもこれを認定し得るところ、取引回数の多少は売買益や所得の大小、逋脱税額の大小等の犯罪事実や情状事実と直接結び付くものではなく、同じ売買益をあげるのに一回の取引であったか多数回の取引であったかによって情状が重くなったり軽くなったりするものではなく量刑にはことさらに影響を及ぼすものではないことからして、原判決が取引回数につき弁護人の主張する回数基準を採用しなかったからといって、被告人に不利益に認定したとか、重く処罰したとはいい得ない。

(四)所論はまた、被告人の犯行後の納税の誠意とその経過、その実行が不可能となった経緯について原判決は十分に考慮していないが、これらの点については被告人のため十分斟酌すべきである、と主張する。

そこで、検討するに、被告人が昭和五五年五月二七日にな国税局の査察を受けた後は、その調査を従順に受け、手持資料等を提出し、同年一二月二二日には対象年度の修正申告をしたこと、その際被告人は、七億円余の本税だけでも先に納付しようと考え、宮地鉄工株九八万一〇〇〇株を処分して納税資金を作りたい旨加藤に申し入れたが、同人「宮地鉄工は今日は駄目だ。丸善も悪い。」と拒否され、日石株二〇万八〇〇〇株の売却のみ了承されたので、同五六年一月本税一億円を納税したこと、その余については翌五七年一月までの隔月六回一億円宛の分納とすることの了解を国税局から得たこと、その後同年二月被告人は逮捕され身柄を拘束されてしまい、自己所有株の処分等の善後措置がとれないうちに、加藤も逮捕・勾留され、これを契機に被告人所有株は暴落の一途をたどり、そのため右分納を果たすことができなくなり、かつまた被告人所有の株式のほか換価価値のある不動産全部を国税局に差押えられてしまったことが認められる。そうすると、被告人が犯行後逋脱した税金の納税につき誠意を持っていたこと、分納にしたのは加藤から仕手戦から株をはずすことを差し止められたためであったこと、その後の分納を実行し得なくなった事情が右のような事由によること等は、被告人のため斟酌すべき情状といい得る。他面、被告人が納税資金の配慮を欠いたまま株式売買を続けてきたこと、少なくとも国税局の査察を受けた同五五年五月以降は納税資金の調達について早急に手当てを開始すべきであったし、加藤が管理・運用していた被告人所有株は、これを容易に売却することができなかったにしても、加藤の管理外の資金、特に被告人が独自に開設・運営していた口座による取引株等を処分するなどして相当の額の納税資金を作ることができたのに、そのような努力をした形跡は窮えないことは被告人に不利益な情状というべきである。そしてまた、本件係争年度の税金はすでに本来の納期をかなり過ぎていて早急に納税すべきであったのに、被告人は所有株式の一部を売却することにより十分納税することができたにもかかわらず、その一部を支払ったのみで、その余については一時に納付することができないやむを得ない場合に許される分納による納税の猶予によったり、被告人が加藤管理下の被告人所有株の売却方を説得し切れなかったのは、同人の強い態度におされたためだけではなく、一面では仕手取引を継続することによって一層の利益が得られるものと期待して、納税よりは仕手取引の続行を優先的に考えたがためであるともみられるのであって、結局この目論見が前記のような事態の急変により裏目に出てしまったともいい得るのであって、これらの諸点も、前記の被告人のため斟酌すべき情状を減殺させるものである。

そして、原判決は「量刑の事情」の項において、被告人の犯行後の納税の誠意等につき、被告人にとって不利益な情状のみを取りあげているのではなく、加藤の逮捕等による株価の暴落により納税資金を無くしてしまったことなど酌むべき諸情状のあることも明らかにして、被告人にとって有利・不利いずれの情状についても十分検討・考慮したうえ量刑しているのであって、所論の非難はあたらない。

(五)所論は、従来の裁判例を引用して、原判決の量刑は、懲役刑につき実刑を科し、罰金刑につき高額である点で、他の同種事件に比して甚だしく苛酷に過ぎる、と主張する。

そこで検討するに、過去の裁判例は、類型的犯罪行為に対する一般的・抽象的な量刑基準を形成する一資料として參酌されるにすぎないのみならず弁護人の引用する文献以後すなわち昭和五八年以降の近時の量刑傾向としては、本件と類似する事件につき懲役刑の実刑及び逋脱税額の二ないし三割程度の罰金刑を科した判決例も少なくないこと、逋脱犯は国家の財政収入を減少せしめるだけでなく、租税負担の公平を損ない、善良な国民の納税意識を減退させるものであって、悪質脱税者に対する国民感情も、次第にその反社会性・犯倫理性を強く認識する傾向にあることもまた考慮に入れなければならないこと、そしてなによりも当該事件に対する具体的量刑は、当該犯罪及び犯人に関する個別的・具体的事情を考慮したうえ量定されるものであり、右に認定してきたところからして、被告人の刑事責任には重いものがあるといわざるを得ない。

そうすると、本件の情状については被告人が納税資金作りのため被告人所有株の処分を申し出たのを拒否した共犯者加藤にも責任があること、前記のように被告人は原判決言渡後にも一部納税したほか国税局に差押えられている株式・不動産等の処分により被告人としてはなお三億五〇〇〇万円程度の納税ができる見込みであること、被告人が捜査段階から一貫して自己の非を認め、反省悔悟して再びこのような犯行を繰り返さないことを誓っていること、相当期間身柄を拘束されていたこと、被告人には前科前歴はないこと、病気の妻をかかえていること、その他記録上窮える被告人のため斟酌すべき情状を十分考慮に入れても、被告人を懲役一年二月及び罰金一億円(逋脱税金に対して一三・八七パーセント)に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

(原判決一九頁一行目と二行目の間に「4木徳証券本店(その後商号を黒川木徳証券に変更)において、昭和五〇年六月ころから吉田泰三名義で」が脱漏しているのでこれを加入し、以下4、5とあるのを5、6と訂正する。

原判決添付の別紙(一)株式取引状況表のうち、左端に「誠備関係」と「その他の関係」を区分する表示を加え、同表番号7の証券会社欄に「山和/本店」とあるは、「山吉/本店」の誤記とすべきものであり、同表番号8、証券会社黒川木徳/本店、取引名義吉永卓司の欄中の「昭和五三年売買益(単位円)、信用三二、〇〇〇、計三二、〇〇〇」とある部分は、同表番号11の次に、「番号12、証券会社黒川木徳/本店、取引名義吉田泰三、昭和五三年売買益(単位円)、信用三二、〇〇〇、計三二、〇〇〇」として入るべきもので、誤記・脱漏と認められるから、これらを訂正し、かつ、これらに伴う小計欄、番号欄を訂正することとし、同表を別紙株式取引状況表のとおり改める。なお、合計金額には変化がないので、所得金額、所得税額に影響はない。)

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 森岡茂 裁判官 朝岡智幸)

別紙 株式取引状況表

〈省略〉

金丞泰

控訴趣意書

所得税法違反

右被告人に対する頭書被告事件につき左記の通り控訴の趣意を陳述致します。

昭和六〇年一二月一六日

右被告人弁護人

弁護士 仁科恒彦

同弁護士 高木一

同弁護士 中村源造

東京高等裁判所第一刑事部 御中

まえがき

弁護人の心からの念願は、本件特有の各情状について、万人の納得する温かいご判断と、これに基づくご恩情あるご判決にあずかりたいことであります。

「心よく道に達し、今日の人情に通達して、是非変化自在ならば、一句の作あらずとも、我高弟なり。」という俳聖芭蕉の言葉は、私共にとりましても、深く味うべき名言ではあるまいかと思われます。

そのように考えます私共にとりまして、深く心に閊えて巳みませんことは、専門部をもつて任じられます原裁判所が、本件に当られまして、その特有の各情状はもとより、その背景となつた現実の世相、庶民の生活心情、さらにまた徴税の実情にすら目を覆わられた、単に一片の机上の作文によつてこれを処理せられ、しかもこれに加えて、弁論書の諸点につきましても恰かもご権威を示されるためとしか思われない、ご偏見そのものの独善的応待に終始せられていることであります。

率直に申します非礼をお許しいただけますならば、弁護人の心中は、ただ、驚愕の一語に尽きるものでありまして、ここに敢えて上訴の上、御裁判所のご明鑑とご恩情とにお縋りいたす次第であります。

しかしながら、本趣意は、要するに、情状についての原審弁論を繰り返し、若干の補足を加えますとともに、原判決のご立論上それがご量刑に深く関わりましたことを危惧せられます諸点につきまして、その余りにも甚だしいご曲解の是正をお願いいたしておるものに過ぎません。

従つて、原審弁論書との多くの重複につきましては、偏えにご海容のほどをお願いいたしたいと存じます。

本論

被告人金に対し懲役一年二月罰金一億円の実刑判決を言渡した原審の量刑は極めて過酷であります。

その不当は左の諸点によつて明らかであります。

第一点 原判決は名目脱税額の巨大さにのみ目を奪われ、その実体につき省察を怠つているのであります。

原判決書五〇頁総括の項で

「その結果、被告人金において、昭和五三年分につき所得金額で三億八六〇〇万円余、税額で二億七八〇〇万円余を逋脱し、昭和五四年分につき所得金額で六億〇六〇〇万円余、税額で四億四二〇〇万円余を逋脱したもので、二年分合計の逋脱所得金額は九億九三〇〇万円余、逋脱税額は七億二〇〇〇万円余の巨額に達している。

もとより、株式売買益の課税については弁護人指摘のような問題があり、この点に関する当裁判所の見解が前示のとおりであるとしても、当時なお他の種類の所得に比べ、納税に消極的な向きのあつたことを否定することはできないが、それにもおのずと限度があり、本件のような大規模脱税が看過されてよいいわれはなく、仕手戦なるものも脱税を正当化するものではない。」

とし、その実刑に処したる所以が、大規模脱税であるとの一点に集中していることは明らかであります。

然し乍ら、

本件の如き案件に対する量刑がその額の大小のみによつて決定すべきものでない事は、当然の事理でありまして、その犯罪の実体を深く省察し、特別予防的見地からは、勿論、一般予防的見地からも亦良く万人を信服させるに足るものでなければならないことは、申すまでもないことであります。

このように事案の巨大さのみに眼を奪われることなく、その内容につき深甚の考慮を要すべき事について、原審弁論においても記るさせていただいた昭和五六年六月二九日東京地方裁判所第二五部判決は、いみじくも、その判決中に、もとよりその内容において、本件と同一視することのできないものがあるのではありますが、四億五五二三万八六〇〇円余の脱税事件につき

「そもそも直接国税逋脱犯に対する処罰は、その基礎に「申告納税制度」の維持の存することに鑑みれば、一般に、右犯罪の情状を論ずるに当つては、特に逋脱にかかる不正手段の態様において、申告納税制度の根幹を否定する程の反社会性、反道徳性を帯び、一般国民の納税意欲(納税倫理)に著しい支障を生ぜしめる程の悪質性が認められ、かつ、犯行結果としての逋脱税額が著しく高額であるか否かを重視しなければならない。」とした上

その被告人に有利に斟酌すべき特殊性を考慮され、「徒らに逋脱金額の高額なことにのみ目を奪われて「申告納税制度」の根幹に触れる悪質な事案であると軽々に速断するのは相当ではない。」とし、

「被告人を懲役二年罰金六〇〇〇万円に処する。この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。」

との判決を下しているのであります。

これを本件に照して考察しますと、仮名口座使用の外には作為もないむしろ単純なものであり、正に右判決の言う反社会性反倫理性に乏しく到底申告納税制度の根幹をゆるがす程のものではないことは極めて明らかであるのであります。以下各点においてこれを詳述したいと思いますが、ここでは先ずその前提として、株式取引による売買利益の申告の業界における一般の空気と特に本件違反の実質が株式売買に関する仕手戦途上の評価益に対する擬制的課税に関するものであることについて一応申し上げておきたいのであります。

1.株式取引による売買利益の申告の業界における一般の空気

現行所得税法は、株式売買を原則として非課税として(同法第九条一一号)、有価証券取引税法による売買利益の如何に関わりなく取引毎に一律に一定の税率による「取引税」を課するに止めることとしていますが、ただ「継続して有価証券を売買することによる所得」即ち株式取引を業とする者の売買利益を例外として課税対象とし(同法第九序第一一号イ)同法施行令第二六条第一項によりその業とする実質について形式的基準を設け年間取引回数五〇回以上取引株数二〇万株以上である場合はこれに該当し課税される旨規定しており、かつ徴税技術上これを一年毎の申告課税の対象とされて来ているものであります。

ところがこの株式売買取引による利益の申告税の実際はどうであるかと申しますと、昭和五四年分の有価証券譲渡益の課税実績は全国で二九二件、そのうち「五〇回二〇万株以上」の売買であつたとして課税したケースはわずかに七三件しかない」(昭和五六年三月一〇日朝日新聞記事)のでありまして、しかも業界では他人名義口座を利用するなどして納税を避けるのが常識といわれ、今回の脱税事件発覚は氷山の一角である(昭和五六年三月一〇日日本経済新聞)とされているのであります。

2.本件の実質は、株式売買に関する仕手戦途上の評価益に対する擬制的課税に関するものであります。

被告人の本件取引は原判決も認定しているとおり、仕手戦途上の課税であり、被告人は総ての資金を仕手戦に振り向け一度も途中の利喰売りや売り逃げをしておらず、すべては仕手戦途上の計数上の利益である中間的擬制的評価益に対する課税であります。従つて実質的にはこれをもつて真の所得の増加(キャピタルゲイン)とすることがきわめて疑わしいところのものであります。しかも、その間、被告人は仕手戦の性質上何時暴落による損失を蒙るやも知れず薄氷を踏む思いで、事にあたつていたものでしたが、後に述べるよう相被告人加藤の逮捕により底知れぬ崩落状態となり、被告人の課税された利益の如きは全く画に書いた餅に終つているものであります。

このような事案に対し額面の巨額(その実質は強いて言えば後記第四点のとおり一億四四〇〇万円の逋脱額となるものであります)の故のみを理由として実刑を以て臨む事は恰も死屍に鞭つが如きものであるということが言えましょう。

なお、序でながらこの徴税技術上の各年別評価益課税制度が精算取引の実情にそぐわず、かつ個人に関する限り損失の場合における対応的取扱を欠く不合理とその不合理が亦納税申告回避の一因ともなつていることについては、前記第二五部判決にも述べられているとおりであります。

第二点 原判決は被告人金の脱税の犯意について故らに悪意の偏向的認定をしているのであります。

原判決はその判決書三〇頁乃至三二頁の金の所得税逋脱意図の有無についての項並びにその五一頁で

「第二 被告人金の所得税逋脱意図の有無について

1 被告人金の弁護人は、「被告人金が株式取引を架空名義で行つたのは、脱税目的が主たるものではなく、同郷(韓国)の者や知人らに知られたくなかつたことや、被告人加藤の仕手戦に参加していたことから、取引主体の正体を隠す必要があつたためである。」などと主張し、被告人加藤の弁護人もこれを援用するところであり、被告人金の公判供述中にも、この主張に添う部分が見受けられる。

しかし、判示認定のように、被告人金は長年事業特に株式取引に携わつてきたものであるうえ、関係証拠特に(検)ら作成の56・2・9捜押(甲221)によれば、本件捜査の段階で被告人金の肩書住居から押収されたものの中に、社団法人証券広報センター発行の昭和五〇年度版「投資家のための税金対策ノート」(符11・甲224)、財団法人大蔵財務協会発行の昭和三七年版「対照式所得税法令通達集」(付12・甲225)等の書籍が含まれていることが認められるほか、本件係争年次において株式売買に伴う所得の課税要件を知つていたことは被告人金自身、公判供述で是認しているところである。こうした事情によれば、被告人金が本件係争年次のころ、株式取引に伴う所得の納税につき、すでに多大の関心を寄せていたことは推認するに難くない。

2 そして、関係証拠によれば、被告人金は、本件係争年次である昭和五三、五四年において、判示のように多数回にわたる多量の株式の売買取引をしていて、その大半は被告人加藤に売買を一任したものとはいえ、事後的にしろ被告人加藤から逐一報告を受け、かつ、売買報告書も受領していて、取引の内容を熟知していたところが認められ、少なくとも、右両年とも株式売買の回数は五〇回以上で、その株式も合計が二〇万株以上であつたことを認識しており、株式売買益についても、昭和五三年は二、三億円を超え、昭和五四年はより多額の利益を挙げたものと認識していたことは優に推認することができる。しかるに、被告人金は、判示のように、その売買益を何ら申告していないのであつて、これは明らかに税逋脱の意図をもつてしたと認めざるを得ない。

3 加えて、関係証拠によれば、被告人金は、単に株式売買に伴う所得を申告しなかつたばかりでなく、貸金業に係る事業所得についても申告しなかつたほか、不動産所得や譲渡所得についても、妻その他の他人名義で不動産を所有するなどして、一部にしろ不正の行為により所得を秘匿していたことが認められ、いわゆる仮名の使用がその余の所得に関する税逋脱の手段にも利用されていたことは明らかである。なお、関係証拠によれば、被告人金は、本件係争年次のころまでに、株券、貸金債権、不動産等相当の資産を保有するに至つていることが認められ、前示捜索差押調書(甲221)の記載によつても、その一端を垣間見ることができるにもかかわらず、被告人金の56・2・21、22検(乙2)によれば、昭和五二年までの毎年の申告納税額は一〇万円以下の少額であつたというのである。

4 また、関係証拠特に吉住義裕の56・2・20検(甲113)及び平野晃久の56・2・20検(甲112)によれば被告人金は、昭和五四年八月下旬ころ三洋証券新宿東口支店長吉住義裕に対し、「同じ口座をこんなに長く使つていると、税金の関係でまずい。口座の名義を変えた方がいいかな。」などと話し、なお、その後の同年一一月二八日ころ同支店支店長代理平野晃久に対し「税金の関係でいつたん三洋証券から引き揚げるが、年が明けて三月を過ぎたら、またやつてあげるかもしれないよ。」などと語っていたことが認められる。更に、被告人金は、現物として取得した株式につき、その名義変更手続をせずに、受領できる多額の配当金を放棄していることが認められる。

5 しかも、被告人金は、前示のように「同郷の者や知人に知られたくなかつた」旨弁解しているもにかかわらず、関係証拠によれば、被告人金は、売買報告書の住所への送付を受けないで証券会社の店頭に赴いて受領するという、いわゆる「留置き」の扱いがあるのに、これを十分に活用していないばかりか、判示のように、知人方住所を送付先にしたり(星野隆一)、身内の日本名を名義に用い、その住所を送付先として、(安達昌弘)、実弟の住所を送付先とする(吉永卓司)などしていることが認められ、右の弁解が仮名利用の唯一の目的であつたとは思われない。また、仕手筋隠しの弁解も、被告人加藤が自分の前で被告人金を他の証券会社の担当者に引き合わすなど、前示のような被告人金の仮名、実名各口座の開設状況に鑑みると、その弁解とするところが仮名利用の唯一の理由であつたとは思われない。

6 以上の諸事情を総合すると、他の目的の併存は否定できないにしても、被告人金が所得税逋脱の意図をも有して、その手段として証券会社に仮名口座を分散開設し、これを利用して仮名取引を行つたと推認することができる。被告人金の検察官に対する各供述調書(乙2、3、4、5、7、9、10、11、12)中、右認定に添う部分は信用することができる。被告人金の公判供述(三九回~四二回)中右認定に反する部分は、不自然かつ一貫しない点もあつてたやすく信用できない。被告人金は公判供述において検察官に対する自白の信用性を争う弁解をしているが、これについても同様であつて、たやすく信用することができない。」とし更に

「加えて、前示にもあるように、被告人金は不動産など相当の資産を保有するに至りながら、その供述するところによれば、昭和五二年までは年間で一〇万円以下の所得税しか納付していないというのであり、昭和五二年に調査を受け、貸金業に関する利息を修正申告する羽目となつたが、翌五三年分について抜け抜けとまた貸金業の利息収入を申告から除外しているのであつて、被告人金の納税軽視の態度は過去から一貫し、かつ所得全般に及び、単に株式売買に伴うものに限定されているものではなく、厳しく非難されなければならない。また、弁護人は仮名取引の動機に関し、知人等に自己が株式売買をしていることを知られたくなかつたことや仕手戦の秘密保持などの諸事情を挙げてるが、税の申告自体は知人等に知られずにできるのであつて、このような弁解は、正しい申告・納税をしていて初めて成り立つものといえるのである。」

然し乍らこの認定は想定せられた模範的納税者のみを基準として計算し、実在する一般庶民感覚を全く無視し、これを悪意にのみ解釈した偏つたものであります。

1.被告人金は本件以前も右判示のとおり納税につきルーズな態度であつた事は事実でありましよう。

しかしそれは被告人の昭和五六年二月二一・二二日付検察官調査書中に

「私の所得税の確定申告書の作成や税務署への提出は、当初から商工会に依頼して行つていました。

私は、以前から民団に所属していますが、商工会に関しては、当初民団の商工会がなかつたため総連の商工会である荒川区朝鮮人商工会に入つていました。

三四、五年ころ、民団の組織として荒川区韓国人商工会ができたので、その後は、この韓国人商工会に所属しています。

確定申告は、このように私が所属していたそれぞれの商工会を通じて行つてきたのです。

なお、荒川区韓国人商工会の事務所は、民団荒川支部の建物の二階にあります。

確定申告書の作成や税務署への提出の方法は、朝鮮人商工会も韓国人商工会も大体同じでした。

つまり、毎年三月一五日までの申告期が近づいたころの三月上旬ころ、会員が申告のための資料を持つて商工会へ行き、商工会の事務員あるいは役員の人にその資料を渡して、申告書の作成を依頼しました。

資料といつても確定申告書の用紙とか譲渡所得関係の売買契約書や領収証など特殊なものだけで、事業関係の帳簿などは必要ありませんでした。

商工会には、形式上納税貯蓄組合というものができていましたが、実体は商工会と同じであり、以後商工会の事務員や役員が適当に手分けをして、確定申告書を作成したようでした。

その場合、会員の方から特に詳しく説明するとかいうことはなく、商工会の方で受取つた資料を基にし、更に前年分までの申告状況を参考にし、大体前年並になるように適当に申告する所得や税金の金額を決めていました。

そして、三月一五日の直前の一四日ころ、申告書ができあがつたということで、納付する税金の金額をしらせてくるので、その現金を持つて商工会へ行き、確定申告書の記載内容を確認して、署名、押印し、税金分の現金を渡すと、以後の手続は商工会の方で行う仕組になつていたのです。

このような確定申告の状況であつたため、私はほとんど確定申告を行うようになつた最初の時から自分の所得の全部を申告せず、脱税していました。

鞄の製造販売をやつていたころは、かなりの利益が出ていましたが、商工会の方では、そのような私の事業の実体とは関係なく、前年の申告状況を参考にして適当に申告書を作成していたので、脱税した金額は少なくなかつたと思います。

このころは、むしろ、私の方で、同じ脱税をするにしても、もう少し高い金額で申告したいと考えても、商工会の方では、ほかの会員とのバランスの問題があるらしく、受付てくれないような状況でした。

貸金業の後半、つまり昭和四〇年代の終わりころは、貸金業による儲けは、あまりなかつたので、それほどの脱税はしていないと思います。

貸金業に関してどれだけの利益が出たか計算などしたことがないので正確なことは判りませんが、私の感じとしては、実際は赤字の年もあつたのではないかと思います」

また

「商工会の人達みんなが税金のことを安易に考え、むしろ脱税をするのは、あたり前といつたような雰囲気であつたため、私も実際の所得よりも少なく申告することが当然だと思つていたのです」

また昭和五六年二月二八日付検察官調書中にも

「私は、五〇年ころから貸金業を縮少して廃業しましたが、五三、四年当時、その前に貸金がいくらか残つており、また未収の利息もありました。

そのような利息の収入については、確定申告において全然申告していませんでした。

五三年分、五四年分の利息収入は、この書類に記載されているとおり間違いないと思います。

山田一郎さんの関係では、四八年一二月一一日に三、〇〇〇万円を貸付け、五四年三月二八日に、三七、四九二、八三五円を和解で受取りました。

相澤春夫、田村民次、文景博さんの関係もこのような状況で貸付けをしており、利息を受取つたことになると思います。

貸金業の関係の貸倒れについては、金慶親さんの関係で、存在するだけで、そのほかには貸倒れというようなものは五三、四年当時ありませんでした。

金慶親に対する貸金及び受取利息明細表写を示し、本調書末尾に添付する。

この明細表は、金慶親に対する貸付や返済の状況であり、このとおり間違いありません。

これによると、貸倒れは五三年分四〇〇万円、五四年分六、九八四、二五〇円となります。

この貸倒れは、和議によつて確定したものです。

五〇年前後は、貸倒れも多かつたと思いますが、五三、四年当時はこの件しかありませんでした。

そのほか貸金業関係の詳しいことは国税局で述べたとおりです。」

等と述べているとおり、従来は民団商工会の指導による集団申告に従つており、この集団申告が必ずしも正確なものなのではなかつた事は被告人の右供述を俟つ迄もなく通常あり得る事態でありまして、このルーズな納税申告のしきたりに慣れていた被告人は深く良心に責められることもなく慣行に従つていたに過ぎないのであります。

また、原判決が「ぬけぬけ」と迄表現している昭和五三年分貸金業の利息収入については、右供述調書中にある金慶親等に対する貸倒れ損失をも算入して、申告しなかつた事は推測に難くなく、何も抜け抜けと迄悪意に解する要のないところでありましょう。

このように本件以前の申告について被告人がルーズであつたことは、右集団申告制のルーズさに慣れこれに従つていたに過ぎないもので庶民の納税感覚としては無理からぬものがあつたものであります。

2 また、本件の株式売買利益の不申告については、

被告人は

その昭和五六年二月二六日検察官調書中に

昭和四五年ころ青山利治名義の口座を山一証券五反田支店に設けた頃の事につき

「確か店の応接間で小西さんとその手続をした際、私としては、株式売買によつて利益を得ても、なるべく税金を払いたくないという気持ちから取引名義を架空名義にしたいという希望を述べたのです。

その場には、支店長も次長もいました。

その際、私は小西さんから

いや、税金のことなど心配することはありませんよ。

今時そんな申告する人はいませんよ。

お宅の方からみつからない限り、うちの方からは絶対みつかりません。

自分の本業で脱税でみつかることがありますが、株だけだつたらみつかりませんよ

などと言われました。

私は、小西さん一人でなく、支店長や次長までそれに相槌をうつたりしたことから、本当に株式売買によつて利益を得ても、税金の申告などはしないのが普通だと思つていたわけです。」

また昭和五六年二月二七日被告の検察官調書書中には

「山一五反田の小西さんから、昭和五〇年ころ、同じ店の笹井さんから、株式売買の利益について

今時そんな申告する人はいませんよ。

うちからは絶対ばれませんよ

というような話を聞き、更に、その小西さんの話の時には、上役にあたる支店長や次長までがその話にうなずいていましたし、ほかの証券会社の人に、税金を申告する必要があるかどうか聴いてみた時にも、同様の話であつたので、株式売買を行う者の間では、株式売買による利益などは申告しないのがあたり前のこととされていると思つていました」

と述べております。

また証人笹井政夫も原審昭和五八年九月二日の公判廷において

「被告人

時間のほうはちょっと定かじやないんですが、あなたとわたしが、取引をするようになつて間もないときだつたと思うんですけれどね、日暮里駅前の喫茶店で、たまたま話が税金に触れたことがあります。その当時のことを思い出して下さい。

そのときわたしのほうで皆さん株でもうけた場合はどういう風にしているんだろうかというような質問をしたことがありますけれどもあなたはどういう返事をしたか覚えていますか。

一般的にはあまり申告していないんじゃないかということを言つたと思います。

それで、またついでに、仮にばれることがあつても、それは一応本業にからんだ場合のことであつて、証券会社のほうから出るようなことはありませんというような意味のことを話したことがあつたんですが。

先ほども言つたとおり、売買の明細を克明に書いてこの人がいくらいくらやつていると、こちらから積極的にそうういものを提出する義務はないということだと思いますんで。

裁判長

それは、そういう義務はないとしても、そのことについて先ほど被告人が質問したような趣旨のことを、説明として述べたかどうかということです。

こちらからそういう申告はしませんと、そういうことは言つたと思います。

税務署に対して、取引の内容を連絡するようなことはないと。

向こうから聞かれれば別ですけれども、こちらから言うことはないと。

被告人

わたしは、こういう具合に記憶しているんですよ。皆さん株でもけうけた場合でも、今どき申告するような人はいませんと、意味はですね。それで、仮に株の売買について調べられることがあつても、それは本業にからんだ場合のことであつて、証券会社のほうから出るようなことはありませんと。ですから、安心してどんどんやつて下さいというような趣旨のことを、わたしは聞いているんですよ。

………。」

と述べているのであります。

このことは何を意味するものでありましょう。

被告人は全く素朴に、山一証券の小西、笹井を始め支店長ら迄が株式売買による利益は申告しないのが通常であり、税務署に発覚する虞れはない旨説得して多額の取引をなさしめた所謂取引増大のための口車に乗せられ、右利益は申告しないのが通常の慣行であると解したため、これに従つたわけで、このようなことも一庶民として無理からぬところであります。

3.また仮名取引口座を設けたことについても、その実質は原判決が言う如きものでは全くありません。

イ 仮名取引についての明確な商習慣の存在

前記昭和五六年六月二九日の東京地裁判決は

「そこで証券市場では、いわゆる仕手筋と称する投機を目的に証券市場で大口の売買をする者の取引動向によつては特定の銘柄の株価が変動することから、仕手筋は、取引の駆引として証券会社に対しことさらその実名を伏せて仮名もしくは第三者名義を用いさせ株式売買を行うことが少なくない。

これは証券のみならず、一般に商品、金融等の市場においても通常散見せられるところであつて、右が取引の手段として行われた場合には、社会通念上、価額形成の方法として許容される範囲内の商慣習の一つということができるから、そのこと自体では何等違法性を帯びるものとは解されない。

しかしながら、有価証券の取引によつて得られた所得については、その取引回数、数量の如何によつては課税の対象となり得る場合もあることから、仮名若しくは第三者名義の使用が課税所得を隠ぺいする目的で所得秘匿の手段として利用されるときは、たとえ商慣習としてなされたものであろうとも、それが過少申告行為と結びつくことによつて偽りその他不正の行為となり得るものと解すべきである。」

としております。

本件にあらわれた証拠により事実を見ても相被告人加藤暠の取扱にかかる仕手戦に参加した資金主の殆んどが、その本名を秘してこれを行つていることは明らかであります。

また、昭和五六年七月九日の田久保利幸証人の証言中には大手四社には名寄帳というものがあり、架空名義の客の名簿を作つている旨証言しているのであります。本件自身についても検甲一二四号昭和五六年二月一三日付参考人笹井政夫供述調書添付資料〈1〉の念書、同資料〈11〉の仮名口座届出書式の制度化、同資料〈3〉の約諾書一四条による名義変更の自由届出制度等いずれも四大証券の一つである山一証券株式会社を始め協会加盟全証券業者が仮名取引の存在を前提としたためのものであり、それが一の商慣習であつたことは昭和五八年九月二日の笹井政夫の本件後の現在もなお仮名口座届出書が存続している旨の証言によつて明らかであります。

ロ 被告人のなした仮名取引

被告人は、昭和四五年頃に始まり株式会社山一証券五反田支店において、吉田利実、吉田隆一、金子裕一、松田卓三等の仮名を順次用い、大阪屋証券東京支店においては松田康の仮名を用いておりました。

当時は、自己が株式の投機売買をしていることを他人に知られたくないため一般慣行に従つていたものであります。特に被告人は、その同郷人や知人が皆実直な人達でこれは株式博奕的な行為をする者を蔑む習慣があつたため、これらに知られることを極度に嫌いこれを避けるために行つていたものであります。

そのことは、当時の取引が回数、株数共に課税基準に及ばぬ小規模のものであり、納税とは全く無関係のものであつたことからも明らかであります(被告人供述、証人笹井政夫証言、相被告人加藤暠供述)。

殊に証人笹井政夫は被告人金との取引はいわゆる留置き制度でやつており自宅や事務所でなく日暮里の喫茶店等で受渡や報告をしていた旨証言した上

「弁護人

身内のものに吉永自身こういう株の売買をやつているという事を隠すようなそぶりはなかつたですか

身内の方というと奥さんとか

奥さんとか友人とか

私は電話の場合は、当方の名前だけいいまして、いらつしゃいらなかつたら電話があつた事だけ伝えてくれ、それ以外何もいいませんものでしたから

それはどういう必要によつてそういう事をやつていたんですか

他の方にそういう事をいう義務もありませんし」

と答えており、それによつて秘密を守つてやつていた旨供述しているのであります。

昭和五〇年頃相被告人加藤暠の取扱いで黒川木徳証券に開設した小原弘名義の取引口座設定も全く同様の理由により、同郷人や知人に株式投機をしていることを知られたくないためのものであつて、当時はこの取引により約六千万円の損失をしているもので全く所得を隠匿して税を逋脱する目的や動機に出たものでなかつたことは明らかであります(相被告人加藤暠の供述)。

その後加藤に一任勘定で設定した吉田泰三、星野隆一、安達昌弘、吉永卓司等の仮名口座にした理由も全く同一であり、右秘密主義の延長継続に過ぎないものであつて、決して脱税目的で故らに仮名口座したものではなく、前記東京地裁判決の説く課税所得を隠蔽する目的でなされたものではありません。

序でながら遡つてさきに原判決の取り上げられている本件不動産特に被告人所有の習志野の土地について購入の際呉昶信、洪益信等親族の名義にしていた事実についても申し上げますならば、これまた何ら脱税の目的からではなく、農地方上宅地転用許可を得るためには面積の規制があり買受け出来なかつたため同人等の承諾を得てその名義を借りこれを買受けたもので現にその一部を売却したときには洪益信名義で確定申告し九六六、〇〇〇円を納税しているものであり決して脱税の目的で他人名義にしたものではありません(被告人の昭和五六年二月二一・二二日検察官調書)。

この点をも見逃し悪意にのみ解釈する原判決の偏つた見方は刑事裁判上最も避けなければならない誤りを冒かされているものと言うほかはありません。

4 犯行の無作為

被告人は右仮名口座設定以外には不正手段と見られる何らの行為をもしていないのであります。脱税事件について一般に見られるような二重帳簿、証拠書類の破棄等狡猾な手段を弄することはせず、取引の全貌を明らかにするその都度の報告書等一切の証拠が明瞭に被告人の手元に保存されており、国税局の査察に際しては、その全証拠を任意に提出し調査に応じ、国税局の査察に協力しているのであります。

修正申告の代理人になつた税理士である証人中村貢証人も

「弁護人

この査察時のことについて木下課長から、被告人はどんな態度だつたということお聞きになつたことはありますか

それはもう本人はなんかこうあつさりあきらめましてね、もう損したのはしようがないんだと。

ものすごく協力的だということは言つてました。かわいそうだということはいつてました。国税局もこれだけの金額を出してですねこれは雑談的な話ですけれどもね、これだけの損失を被つたんですから、その点については気の毒だという話はしましたね。

それはずつとあとですね。

いやその過程の中でも言つてましたね。」

と証言しております。

そして昭和五五年一二月二二日には全く査察の結果通りの修正申告をしているのであります(修正申告書、前記証人中村貢証言)。

これ等諸点を素直に観察すれば被告人の性格は極めて淡白、かつ誠実であり、何ら悪事を企てるような者ではなく、何人かの制止があれば本件の如き誤りも決してしなかつたものと思われるのであります。弁護人の観察によりますと、本件所為は寧ろ証券業者の甘言に乗せられて行つたもの、その根源の責任は証券業界そのものの体質にあると言えるのではないかと思われます。被告人個人にはいささか遵法精神に欠くるところはあつたものの、著しく反道義的なものはなく、ましてや申告納税制度の根幹をゆるがすものだと言うことは到底できないものであります。

第三点 原判決は、売買の回数の認定につき独断的な誤りを犯し、その回数は過大に計算していることは量刑に著しき不利益を与えておるのであります。原判決はその四二頁乃至四八頁に売買回数の判定基準の項を設け、特にこの点に力点を置いた長文の説示をしておられます。

この問題も亦、前点同様に、本件に限する限り、窮極的には犯行の構成要件充足とは関わりのないことに帰するものであります。しかし、右のような原判決のご態度からしますと、そのご量刑上に大きな比重をもつたものと危惧せられますため、ここに少しく述べることといたします。

先ず原判決もこれを認めているとおり、国税庁長官制定の所得税基本通達九-一五も「証券会社に委託して行つた株式売買の回数は証券会社が当該委託に基づき行つた取引に係る銘柄数又は取引回数のいかんにかかわらず、証券会社との間の委託契約ごとにそれぞれ一回とする」としており、行政解釈は委託契約の回数によるものであることを明示しており、

また司法の場においても、前記昭和五六年六月二九日東京地方裁判所刑事第二五部判決も亦

「顧客が証券会社に委託して株式売買を行った場合には、銘柄、株数、価格、「ウリ」と「カイ」の別、注文期間等すべて受託者に一任して自己の計算において行なう取引、すなわち「売買一任勘定取引」による場合を除き受託者が行つた売買の回数にかかわらず委託者と受託者との間の委託契約ごとにそれぞれ一回と判定すべきである」

とし右回数計算には委託契約の回数を基準とすることを原則とする事を宜明した上更に註文伝票総括表や売買報告書における「内出来」の記載の有無等は単なる立証方法に過ぎず」、また「一個の委託注文契約において「ウリ」と「カイ」を同時に行なういわゆる「乗り換え」と称する手持株の変更が同時に行なわれる限り一個の注文契約であつて、別個の二個と算定する理由は全く存しない」とも判示していて、

この回数計算方法は、業界においても全く当然視せられており、これについて原判決の如き認定をすることは、国家意思を二途に出でしめるものであり、国民として去就にまどわしめるものであります。

それのみならず原判決は刑事裁判の基本を見誤つているものであります。

刑事裁判においては凡そ「罪を犯す意なき行為はこれを罰せず」でありまして、況んや他人すなわち受託者の行為の数によつて罰せられたり罰せられなかつたりする場合を生ずる刑事法の解釈は仮に原判決のいう税の公平負担という行政上の要請があるにしろこれを基準とする事は全く許されないところと言うべきであります。

国税不服審判所の裁決ならば格別刑事裁判所においてかかる解釈をなすことは、独善というよりは、法の技術性にまどわされて刑事法の基本原則を見失つた解釈といわざるを得ません。

殊に本件中にかかる誤つた回数計算がなされていることは判決自体でも明らかでありますが、「クロス売買」回数は少なくとも二分の一となるばかりでなく一回の指値注文が何回にもわけて場に通されている売買報告書を基に計算されている場合があることは証人笹井政夫の前記法廷における証言によつても明らかであります。

この様な場合を原裁判所はすべて前記のとおり、誤つた独自の見解によつて計算しているのでありまして、根本から見直して頂かなければならない点であろうと思います。

弁護人は本件回数がどうであれどの道業としてなされたものであることは明らかでありますのでその刑事責任の有無について主張しているものでないことは本点の冒頭において述べておるとおりであります。しかし同時に述べておりますとおり、原判決は、この点にいいて情状上、多大の重要さを認められていることが明らかでありますことに鑑みますとき、この正しい計算方法による相当回数の減少は必然的に情状に影響を及ぼすものであることを強調するものであります。

第四点 原判決は本件課税が評価益に関する課税であり、実質利益に対するものでないことを看過している。

原判決はその判決書五〇頁並に五一頁に

「その結果、被告人金において、昭和五三年分につき所得金額で三億八六〇〇万円余、税額で二億七八〇〇万円余を逋脱し、昭和五四年分につき所得金額で六億〇六〇〇万円余、税額で四億四二〇〇万円余を逋脱したもので、二年分合計の逋脱所得金額は九億九三〇〇万円余、逋脱税額は七億二〇〇〇万円余の巨額に達している。

もとより、株式売買益の課税については弁護人指摘のような問題があり、この点に関する当裁判所の見解が前示のとおりであるとしても、当時なお他の種類の所得に比べ、納税に消極的な向きのあつたことを否定することはできないが、それにもおのずと限度があり、本件のような大規模脱税が看過されてよいいわれはなく、仕手戦なるものも脱税を正当化するものではない。」

と判示しておられます。

この判示中の数字は徴税技術上の形式的数字を丸呑みしてこれを揚げたものに過ぎません。弁護人は、その徴税対象たる収益の実質が如何なるものであるかの検討を特に反覆強調しているのでありますが原判決は真剣にこの点を考慮せられることなく、本件の被告人の各年度所得とされたものが決して資産増(キャピタルゲイン)といえるものではなく単なる評価益に対す課税である実体を看過しているものであります。

これこそ量刑に影響を及ぼす最も重要な過りであることは明らかであります。

1.仕手戦途上の課税について

被告人が相被告人加藤暠に誘われその仕手戦の一翼を担うに至つた昭和五二年一二月一二日以降の取引は、同人に一任した各証券会社との取引も、被告人独自の山一証券五反田支店における取引もその殆どが仕手戦上の取引でありました。

元来仕手戦途上の計数上の利益は、その本質上中間的な擬制的評価益で真の所得即ち資産の増加(キャピタルゲイン)と言えるかどうか甚だ疑わしいのであります。株界における常識として、仕手戦による利益とせられるものは、仕手戦終了時すなわち手仕舞時において初めて現実の利益となり得るものでありましてこれこそが真に資産の増加とせられるのでありましょう。何となれば、仕手戦においては常に勝利を得るとは限らず、その途上あるいは終局において何時敗北により重大な損失を蒙ることとなるかは全く測り得ないのでありますから、客観的に見てもその収支は仕手戦終了時に於いて初めて決せられるべきものであります。ただ、例外的には、偶々その中間で所謂売り逃げ又は利喰売りにより利益を博する徒輩もあり、かかる場合にはその手仕舞時における利益は勿論仕手舞年度の収入として課税されて然るべきものでありましよう。

しかし乍ら被告人はこの中間売り逃げを全くせず、素直に相被告人加藤の指導に従い同人からも仕手師の模範として賞賛せられていたものであります。すなわち後に言うクロスの場合はもとより買増しした分も全くこれを手中に残したことなく、挙げて仕手戦に投入し尽くしており、その結果それらも皆評価益を計上されているのが本件の実際なのであります。

昭和五六年七月六日公判廷における証人田久保利幸の証言にも

「弁護人

たとえば一五億の利益というのが出たかどうかいうようなことが調書には書かれているように思うんですけれども、それは実益ですか、評価益を指していることですか

ちょっとそのときの調書の具合がどういうものかということは今はつきりした記憶はございませんけれども僕の気持ちの中では当然吉永さんずつと株を持っていらっしゃったもんですから、評価益とい気持ちがあります。

弁護人

評価益の場合は実益と違い税金には関係ありますか、ないですか

評価益は個人の場合は全くないと思います」

と証言しているのであります。

元来評価益に対する課税は不動産の路線価格の値上りによる評価益課税がなされないと同様(固定資産税の増額は有価証券取引税の増額に相当し、本件とは無関係)課税され得ないのが当然であろうと思います。

従つて被告人の場合の本人自身も仕手戦途上の本件においては全く現実に利益を得たという実感はなく、常に、この不自然な人為的株価の釣り上げがいつ迄続くか、いつにこれが壊れ暴落するかも知れないと薄氷を踏む思いでおそるおそる加藤の指示に従つて買い続けて来たものであり、この計数上の利益に対する納税に思い到らなかつたとしてもあながち不自然とはいい難いところであります。

元来、株売買による利益に対する年度毎申告課税制度が実情にそぐわぬものであるばかりでなく、その徴税技術そのものに相当の無理があるためかかる実質的利益でない評価益に対する課税というギャップが生じているものであります。従つて、一般的庶民の感覚としてこれに対して多少共納税意欲に缺けるところがあつたとしてもそれについては十分に酌量するところがあつて然るべきものではないかと思料します。

然るに、原判決が、いささかも、この実体に思いを致されることなく、恰かも万人がその祖先より本来受け継いで来た自然法犯と同一、否、それ以上反社会性があるものとして厳罰をもつてこれを臨まれることは、その情状酌量上に、明白かつ甚大な缺陥があるものとしなければなりません。

2 クロス売買について

被告人が相被告人加藤暠に誘われ仕手戦を開始した昭和五二年一二月一二日以降の取引は、同人に売買を一任していた各証券会社における取引も被告人独自の山一証券五反田支店における取引もすべて仕手戦上の取引であり、而もその取引の約八割がいわゆるクロス取引であります。すなわち添付被告人作成の山一証券クロス状況表(1)の示すとおり、三億六千三百五十九万二千円の差益はクロス売買上計上されたもの、岡三証券、三洋証券、立花証券、和光証券、大成証券のクロス状況表(2)の示すところによればこれらの証券会社における四億三千五百八十五万九千円の差益はクロス売買上計上されたものであり総計七億九千九百四十五万一千円で五三年度五四年度中の総売買益九億九千五百十一万七千円とせられている大部分(約八割)がクロス売買益を算入されているものであります。

従つて右約八割を除いた約二割に対する逋脱額は一億四四〇〇万円となるのであります。申すまでもなく、クロス売買においては同一の株式を同数、同価格で同時に売り、買うという結局建て玉の継続即ち買契約の延長を意味するのみで、その際計上される損益は、単なる帳簿上のものにすぎないものであります。従つて、このような売買は、厳密には取引回数上無視することもできなくはないばかりでなく、たといその際何らかの利益が計上されたとしても本質上、中間的な擬制的評価益で真の利益とは言えません。またこのような計数上の利益は建玉の価下げにより何時損失に転じないものでもなく、到底資産増加(キャピタルゲイン)とは見られないものであり、これに対する年度毎の課税は完全な意味で擬制課税というほかはありません。

而も被告人はこの仕手戦途上の評価益を利喰売りによる実益に変えることなく、総て、加藤の指示により仕手戦資金に繰り入れ新たな仕手株買入資金調達のため担保に入れて仕手株の買入に振り向けていて、一方では本件の査察、検挙の際薯蔓的に残ることろなく取引の全額を把握される原因となつたと同時に、他方では検挙により持株全部の崩壊的暴落によつて、仕手戦は徹底的敗北に終わり、現実の利益は全く得ていないことになつたものであつた事も明白であります。

従つて、これ亦本件における特有の情状として十分の考慮に価するものであることは、一般常識上からしても当然のところであります。

しかし、原判決は、この点についても全くこれを無視しておられるのであります。

クロス状況表(2)

〈省略〉

添付資料 1

クロス状況表

〈省略〉

第五点 原判決は、被告人の犯行後の納税の誠意とその経過及びその実行が不可能となつた経緯について全く過つた見方をしている。

原判決はその判決書五一頁、五二頁に

「しかも、被告人金は、本件発覚後、修正申告による納税に際しても、その所有する株式の一部を売却するだけで賄える程であつたのに、それをせず、そのまま継続して持ち続けたというものであり、納税軽視の態度は顕著である。弁護人は、被告人加藤の逮捕等により株価の暴落により多額の損害を被つたことから納税資金等を無くしたもので、この損失を量刑にあり考慮すべきである旨主張する。このような損失は犯行後の事情とはいえ量刑上考慮するにやぶさかでないが、これも納税資金を留保しておく等、納税のための準備を何ら行わないで、売買益をそのまま株式売買に振り向けていたところ、その思惑が外れて暴落し、納税資金さえ無くしたというだけのことである。

それでも、こうした暴落、損失の事態が、遅くとも、本件係争年次の翌年である昭和五五年三月一五日の申告納付期限の直前までに生じたというのであればまだしもであるが、被告人加藤の逮捕がきつかけとなつた暴落は、それよりも更に一年後の昭和五六年二月のことであり、昭和五五年五月には東京国税局の強制査察を受け、修正申告までしているのであるから、その間、売買益をより確実なものにして、納税資金を調達することができたはずである。もとより、こうした事情はすべて犯行後のことであるが、株価の暴落、損失の発生を量刑上考慮する反面において、看過できないものといえる。被告人金は、納税よりも被告人加藤との仕手戦を優先させたのであり、これも結局は自らの利益につながるものといえる。」

と判示しておられます。

弁護人は、この最も重要な情状についての、原裁判所の根本的誤解といわれのないご誹謗には寒心に耐えないものがあるのであります。以下、順を逐つて、これについて述べることといたします。

1.資産の現状

被告人の資産は、現在その殆どが大蔵省の租税の担保となつている保有株式の他不動産として、

荒川区西日暮里一ノ六三六(一ノ二七ノ一〇)所在 作業所店舗(現在アパート)一棟

荒川区東日暮里六ノ八三一(六ノ二一ノ五)所在 居宅兼店舗 一棟

台東区三ノ輪一ノ七七ノ二所在 居宅 一棟

同所 七七ノ二、三所在 工場居宅 一棟

同所 七七ノ三 宅地 四八・八二平米

同所 七七ノ二 宅地 九四・五四平米

(三ノ輪の土地以上約四三坪)

習志野市谷津四ノ三七二ノ二 雑種地 六三平米

外同地内の雑種地 合計一〇〇一・七五平米

文京区西片町一ノ一四ノ一 所在 コンクリート建地上四階地下一階建建物 一棟

(洪益信名義現在長男金永秀居住)

八丈島八丈町大賀郷 土地 約五〇〇〇坪

(洪益信名義)

を所有しているのであります。

しかし、その換価できる価値のあるものは全部大蔵省により差押さえられている状態であります。(弁護人中村源造報告書、大蔵省各差押調書)

取引銀行は第一勧銀三河島支店のみでありますが、同行の預金は普通預金三〇万円の残高があるのみであります。(被告人供述)

しかも、これらの固定資産は株式取引とは全く無縁である家業の勤勉なる経営により営々として多年に亘り築いて来たものでありました。

被告人は本件摘発の結果、そのすべてを失つたばかりでなく、後記のように大蔵省及び大阪証券株式会社に対してなお約一二億に及ぶ莫大な債務を負担させられている実情にあるのであります。

2 環境の現状

殊に特筆したいことは、被告人は日暮里のいわゆる韓国人地区内に居住して、その中でもこれまでは一応の成功者として尊敬されていたのでありますが、本件が摘発されて起訴されて無一物となるとともに、周囲の同国人からも白眼視され、その子供達が職を失つたばかりでなく、今迄助け合つて来た親族からも疎遠にせられ孤立し、経済的にも心情的にも極めて悲惨な状態にあることであります。(証人金宗泰証言)

これを要するに、被告人の現状の身上は、この上もなく悲惨なもので、同種脱税事件の被告人らの如く、なお隠匿財産等を所有し、再起の余力ある者等と異り、従来の生活を根こそぎ覆えされ課せられるべき罰金の支払能力さえ失つたものであると同時に、最早再起の望みも失い、もとより再犯の虞等は全く存在しない状態にあるのであります。

3 犯行後の被告人の改悛の情

被告人は、昭和五五年五月国税局の査察開始以来、直ちに自己の納税意欲稀薄なりし事深く後悔し、その調査に対しては従順にこれを受け手持資料等は余すところなくこれを提出して、株式売買による所得の状況を申告し、昭和五五年八月二八日には従来の個人名義による株式の売買取引を一切廃止し脱税の基盤となり得ることを避けるため、有価証券の保有と運用を目的とする有限会社金徳を設立して(添付登記簿謄本のとおり)、爾後は個人名義の取引を廃し一切この法人名義での取引に切替えてその実体を硝子張りにする等して査察途上において既に将来の脱税防止のための客観的条件を設定するとともに、過去の昭和五三年度五四年度の所得については、後述のとおり昭和五五年一二月二二日完全な修正申告をなし、国税庁の恩情による分割納税の許可を受け翌五六年一月は第一回分の一億円を納税し残余についても計画通り分割納税の誠意を持ち続けていたのでありますが、不幸にも同年二月九日後述のとおり逮捕されてその実行が不可能となつたものであります。

このように被告人には査察をうけて以来一貫して納税の誠意を持続しており、公判廷においても、誠実な納税者となることを誓つているものであり原判決のいうが如き不誠実さはその片鱗すら認めることができないものであります。

〈省略〉

商号・資本欄 1丁

〈省略〉

目的欄 1丁

〈省略〉

役員欄 1丁

4 本件検挙の政策性と被告人の蒙つた不利益

静に本件の検挙経過を見ますと、先ず第一に疑問に思われるのは、事実発覚の端緒であります。

巷間では山一証券がその資料提供者であるとされやかれています。山一証券の笹井証人は証券業者から客の脱税資料を国税局に提供しないことを原則としているといつているのであります。

しかし乍ら、当時証券業界ではいわゆる〈木〉銘柄又は本〈木〉銘柄と称して特定銘柄の株式が誠備グループによつて仕手戦の対象とされ派手な仕手戦が行われその本体がわからずしかもその資本力が益々強大を加えて行くことによつて、四大証券を始め証券業界の主流としては、極めて大きな衝撃を受けていたものであります。従つて、このような点から考えますとこれが国税当局を動かしたものとする巷間の推測についても、勿論信じたくないところではありますが、そうかといつて、反対にこれを一笑に付することも亦できないかとも思われるのであります。

被告人がこの〈木〉銘柄を山一証券で大量に取引していた事は明らかであり、しかも、被告人が本業等からは何らの端緒を得られていないのに査察を受けるに至つていることからも亦明らかであるところからすれば当初の査察資料が山一証券側から出ていることは十分首肯できるところであります。

果たしてそうであるとしますと、実に被告人の査察は当初から誠備グループによる仕手戦抑圧のための手段に選ばれたのではないかと推測されるところであります。

このように見ますとき、本件告発後もこの誠備グループ抑圧の目的は一貫しており、捜査の進展と共に一層明らかになつて来ているのであります。

被告人は査察と同時にその脱税の事実を素直に認め、当局の指示するとおりの修正申告をなし逮捕取調後も率直にその事実を認め自己の責任に関する限り、少しでもこれを回避又は隠蔽するところはなかつたのであります。しかるに、その取調の中心は専ら相被告人加藤暠との関係に集中せられこれとの共謀の事実の自白を誘導説得せられ遂に被告人も拘束の解かれることを熱望する余り、これに迎合するに至つているものであります。この事は被告人の各供述調書の記載及び当公廷における直接取調を担当した検察官と被告人との問答を見れば明らかなところであります。

しかるに、これによつて相被告人加藤暠が逮捕せられて以後は被告人らの期待とは全く反し、被告人自身に逃走の虞なきは勿論その全面的改悛による一貫した自供とすべての証拠の提出とによりその湮滅のおそれ等も何ら想像もできないにも拘わらず、ただ被告人としても証人の立場に過ぎない相被告人加藤に関する証拠湮滅の虞ありとの理不尽極まる理由で再三に亘りその保釈請求は却下せられ、あまつさえ既に決定していた第1回公判廷期日さえ検察官の要求により変更して繰延べられ、実に逮捕日昭和五六年二月九日より延々五箇月余後に当る同年七月一七日に至り、漸く殆んど未知の者一五名との連絡禁止という不可解の条件の下にはじめてその保釈が許可されているものであります。

この間被告人が当局と相被告人加藤との間にあつて故なく精神上も肉体上もいうべき言葉のない不当の苦痛を受けて来たことは明らかであります。

また、本件検挙について余分の附言をお許しいただけますならば、本来仕手戦による不当な株価引き上げを防止する目的ならば有価証券取引法の不当な株価操作により取締まるべきものであり、仮名口座取引による所得税法違反に以てこれに替えるのは権道というべきところでありましょう。

また、仮名口座決定による所得税法違反の本質的温床は、証券業界に於けるこの種悪慣習にあるものであつてこれを防遏するには、いわばその開張者ともいうべき証券業者こそその対象たるべきものであり、いわば賭場の客に相当する客のみを検挙することは妥当を欠くのみならず決して抜本的な仮名取引による脱税防止に対処する方策とは言い得ないものでありましょう。大蔵省は一片の指導通達によりこれを防止しようとしていますがそのような糊塗的手段で証券業者等がこれに遵うものとは思われません。寧ろ信用取引口座開設に住民票一通を提出せしめることを義務づければ足りると思われますのに、これをしていないのは右の慣行の直接かつ即時の抑圧が業界に及ぼす影響を考慮して、これに踏み切れなかつたものと思われます。そのことは、度々新聞紙上に賑かしている丸優制度の濫用禁止措置が未だ実現せられないのと同様であり、このような不完全な行政措置を基として、客のみを対象とすることはいわば弱い者いぢめの検挙というほかないと同時にその屡々籍口せられる一罰百戒主義も亦、その根本精神を抜かれた全くの形骸と化するものでありましょう。

現に本件の検挙によつても証券業界における仮名口座による信用取引口座設定の悪慣行は修正されていないのであります。昭和五八年九月二日第六五回公判に証人笹井政夫はその証言中に

「裁判長

先ほど来の問題になつている取引名義届出書というものは、今でも書式として残つているんですか。

残つております。」

と証言し、仮名口座設定のための極秘扱の取引名義届出書の書式が今でも使われており、かかる制度が存続していることを証言しているのであります。

このように偏つた検挙審理方針により被告人は前記身上上の不利益を受けたばかりでなく、後に述べますように被告人はその査察開始より身柄拘束中に至る間に相被告人加藤及び当局の措置により、その間における自己所有株の処分等の善後措置を封ぜられその間における所有株の暴落により受けた打撃は後記の通り筆舌に尽くし難いものがあります。

再び余言ながら、このような経済的打撃は被告人のみでなく相被告人加藤暠の仕手戦に資金提供をした全員が受けているのであります。

昭和五六年一〇月八日第一三回公判における証人藤原三郎の証言にも自分は政治家であり、誠備投資顧問室の会員代表者である旨供述した上

「弁護人

その結果誠備グループの会員の宮地株はどのようなことになつているわけですか

ご承知のとおり宮地鉄工株は暴落の一途をたどりました。今やご承知のとおり二〇〇円そこそこじゃないかと思います。その当時二四〇〇円でておつたんです。会員は下落する一方で追証においかけられる者税金に苦しむ者塗炭の苦しみをしております。」

と証言し、これに関し多くの訴訟が提起されているのであります。

5 事後措置と受けた経済的打撃

一方納税義務の履行については、その修正申告書記載のとおり昭和五五年一二月二二日に昭和五三年度分一、一三九、二七一、八八〇円の所得あり、昭和五四年度には一、九九一、一二六、四〇八円の所得あり、夫々五三年度は二七七、八五〇、一〇〇円、五四年度は四四四、二六〇、四〇〇円の未納税がある旨を修正申告し、その直後の昭和五六年一月保有の日石株の処分により一億円の納税を済ませ、残余については当時時価約一〇億円に相当した宮地鉄工株三〇数万株を担保に供し、その後は同年三月五月七月九月一一月翌五七年一月と隔月に一億宛の分割納税の了承を国税当局より受けその納税の誠意を示したのであります。これらの分納、延納等の措置は、納税円滑ならしめて、納税者の負担を軽減し、しかもその成績を挙げさせるため、国税当局の常に採つている合法的措置でありまして、国税当局に対しても、納税者に対しても、賞揚にこそ値いすれ、何らの批判の余地すらない誠実、最良の手段に外ならないのであります。国税当局が、このような措置を敢えてしたことについては、恐らく被告人が相被告人加藤暠より、仕手戦途上の仕手株の大量処分を差止められ、同人に対する義理から巳むなく、全額一時納税をあきらめざるを得なかつた被告人に対する深い同情によつたものでありましょう。そのように被告人はその最善を尽くしておるわけでありまして、その決して自分の利益のために即時納税を怠つていたものでないことは右加藤暠の法廷供述によつても明らかであります。

処が被告人は昭和五六年二月突如として必要もない不当な逮捕をされ身柄拘束を受け、その後殊に加藤暠の逮捕されるや、宮地鉄工株、丸善株は連日取引止めの下落をし、丸善相場表、宮地鉄工相場表の示すとおり、最高時一株一八四〇円であつたものが、三二五円、宮地鉄工株は一株二九五〇円であつたものが、二三八円迄下落して仕舞つたのであります。被告人は拘束中の為売却処分等何らの善後措置を講ずることも出来ずこの下落を甘受せざるを得なかつたものであります。

そのため被告人金の所有株は国税局に差押えられたもの(後に宮地株約三〇万株を差押えられ合計六〇万株余)はもとより大阪証券信用株式会社に担保として差入れられていたものも共に換価せられることなくその儘下落し、これを補填するため前記被告人所有不動産の換価価値のある不動産は全部差押え(各差押調書)られ、大阪証券信用株式会社は、被告人に対する貸付金吉永卓二名義個人分七億八千百二十万円余、有限会社金徳分十四億六千八百八十万円余あつたものを差入担保株全部を法人分は昭和五六年三月六日個人分は同年五月六日に自助売却(流質処分)等により、処分して右債権を清算し、現在、被告人の同会社に対する債務は、個人四億一千五百三十九万九千四百三十八円、法人七千二百九十九万八百七十八円となり、この債務を同社の更正会社に対して負担しているのであります。

このように被告人は株式に投資した全財産を失つた上、なお約一二億円を上廻る多額の負債を負い、その処分見込額は右負債額に遙に及ばないものであり、残余の納税のため差押え財産が廃却処分に付せられた暁には、被告人は住む家もなく、間借生活を余儀なくされることを覚悟致しております。この状態でありますので、私事にわたりまして、まことに恐縮に堪えませんが、被告人は控訴審における割増保証金をも積むことが出来ず、弁護人らの保証書にてこれを代えている次第で、弁護人らはその着手金さえ請求することを差控えている次第であります。(私事にわたりまして重ねて恐縮に堪えませんが、弁護人が本件を受任いたしましたのは亡友の遺言により面倒を見てやつていた韓国人団体からの特別の依頼によつたものでありますことを一言付加えさせていただきます。)

6 原判決のご叙述についての反論

このような打撃を受けた真実の原因はもとより加藤暠の仕手戦が不自然、不当な株価釣り上げにあつたことは言う迄もありませんが、前記4において述べた当局の不当な被告人の身柄拘束によつて株の売却による善後処置を不能ならしめたことにあつたことは極めて明らかであり、何人もこの事実から目を避けることは到底許されないところであります。

ここに右株価の下落と被告人の身柄拘束との日時関係を表にして明らかに致します。

〈省略〉

被告人は、韓国でも最も低く見られている全羅道の、しかも生活上最も恵まれない孤島を本籍とする出稼人でありまして、何の教養ももたないものであります。それにも拘わらず、なお、相当の人物であり、その最悪の苦境の渕に沈ませられながら、その心は、国税局の温情の措置に報いられなかつたことの申訳なさを常に悔いており、前記の如く担保価値の下落の結果その全資産について追加差押迄受けながら一言の怨みさえ申してはおりません。国税当局においてもこのような被告人に同情を惜しまれず、何とか担保物件価額の回復するのを見守つて少しでも有利な処分による滞納額の減少を考慮してやつておられるのであります。そのようなわけでありますから、貸すに時をもつてすれば、必ずや今後共可及的納税の実は上がるであろうことも期待せられなくはないのでありまして、これを裏付けるが如く次点に述べますように、被告人は本年五月七日担保株の一部売却によって一億二千百九十八万円余の納付をいたしておるものであります。

原判決は、被告人が修正申告に際して株を売却してこれを完納しなかつたのは納税軽視によるものとせられますが、被告人はその際合法的に国税局との間に十分な担保提供の上の分、延納の取極めをなし、かつその取極め通りに第一回分をその期日までに、納付を了え、その後全く予想していなかつた事態さえ起こらなかつたならば昭和五七年一月の最終分納期には当然これを完納することができた筈でありますから、その間何ら納税上の誠意に缺けるところはなかつたのであります。

従つて、右ご解釈は全くの誤りに外なりません。

被告人が本件の国税局の査察迄の間、誤つた周囲の風潮に影響せられて納税についての誠意を缺いていたことは、前記のとおりまことに申訳ないところでありまして、それまでの間において、予め納税資金の配慮を缺き、また納税期における申告、納税共これを怠つて参つておりますことは、正にご指摘のとおりでありますが、被告人は、査察を受けると同時に深く悔悟いたし、それ以降はすべて国税当局の懇切なご指導に従つてそのとおりに振舞つておるのでありますから、原判決のこれについてのご解釈は、右分、延納の合法的取極めと同様に、すべて誤つたご観点からされる不当のご誹謗に過ぎないものであります。

果たしてそうであるとしますと、原判決の趣旨は、弁護人が、本件における株価の暴落と被告人の現在の滞納税額完済不可能の悲境とについて、これを本件におけるご量刑上の情状としてご配慮をお願いしたことをご批判になつたものと思われます。しかし、これこそ、前に申しましたように弁護人及び被告人にとりましては、真に腸を断たれるが如きご無理解に外ならないものであります。

本件ご検挙が所謂誠備征伐のために行われたものであることにつきましては、さきに3において、極めて遠慮勝ちながら、これを述べておりますとおりであります。弁護人らの従来の見聞によりますと、被告人は本件脱税を当初より認め続けており逮捕拘留を受ける必要のない事案と思われますのに、かくの如く検察当局が動かれましたということは、被告人の告発を期に仕手本尊たる相被告人加藤にまでその影響を及ぼそうというご方針が十分忖度できるのであります。しかも、検察当局の狙いは、その本件における共犯責任より遙に遠大な、誠備集団の全貌に及ぶ獲物にまで望蜀拡大せられて行つたことが次の被告人の保釈申請についての検察官のご意見によつても極めて明らかであります。

すなわち、昭和五六年三月一二日のそれは、4その他参考事項として、「本件は巨額な株式売買のほ脱を中心とする大規模な脱税事案であるが、関係者は共犯者加藤暠を初めとして証券外務員ら多数にのぼり、これらの者に働きかけて株式取引の被告人もの帰属、課税要件の点等について罪証を隠滅するおそれがある。なお、保釈を許可する場合の保証金一億五〇〇〇万円が相当である。」(傍点は弁護人)と記載されていたのでありますが同年四月二三日のそれは

「被告人に対する本件起訴状において共犯者加藤暠に対し、被告人との共犯関係につき起訴したが、さらに同共犯者に対する本件と不可分の関係にたち、証拠関係も重要な点で共通している大規模な追起訴にかかる余罪が発覚したことから、その捜査を遂げて追起訴を終えたところ、被告人らに対する本件起訴事件は被告人らが行つた一連の大掛りな株式の仕手戦に伴ういわば構造的脱税事犯というべき事実であると認められその公判立証には被告人らの仕手戦の全容を解明する必要がある。………」

となり、以降、度毎にそのご意見は、その捜査の完了まで如何にして被告人の拘束を続けるかについての牽強附会を重ねて行かれておるのであります。

かくて、被告人は延々同年七月に至るまで、実質的には全く違法という外のない拘束を続けられ、その間弁護人の抗告も亦何らの効果がなかつたものであります。

弁護人は、原審裁判長の著述せられるところは勿論、刑事訴訟法改正以来の各学者の著述を悉く検討しましたが、一として原裁判所のご措置を合法とするものはありませんでした。原裁判所がそのご所信に反してまで、検察庁の相被告人に対する別罪捜査の便宜のために、被告人に対するいわれのない拘束に加担せられたことはまことに遺憾に堪えないところとしなければなりません。(余言ながらこの追起訴による相被告人加藤の尤大なる別罪は原判決において無罪とせられましたことは、その際の検察庁の強引さを証するに足りるものかと思料いたします。)

かくして、被告人は、その全財産を悉く喪失する悲惨さを、そうでなくとも自らも妻の病苦に沈む身で、幽囚の窓から、なすべき術もなく、むなしく見送らざるを得なかつたのであります。

弁護人が、原審弁論書の総論八頁以下において、非礼を冒してまで、この被告人の滞納の真因を述べ、その保釈条件とされた連絡禁止者全員の氏名迄を入念に記載しておりますのは、一に原裁判所にその当時のご措置の如何に不当であつたかを、ご想起願うためであり、また、むすびにおいて異例の罰金刑の執行猶予までお願いいたしておりますのは、原裁判所に対し、その後いよいよ明々白々となつた、不法のご措置についてご想起を願いこれに対する一片のご憐憫のお心をご期待申し上げたものに外ならなかつたのであります。

しかるに、これに対する原裁判所のお答えが却つて、判示の的外れの逆説法とご酷刑とに終りましたことを、弁護人は省みて慚愧に堪えず、被告人に対し、心から申訳なく思つております次第でございます。何卒、御裁判所におかせられましては、格別のご垂情のほどをお願いいたして巳みません。

第六点 原判決言渡後の納税

被告人は昭和六〇年五月七日その所有株である宮地鉄工株二八万株(東京国税局差押中の同株六〇万株余の一部)を売却して、更に一億二一九八万七〇七二円の納税を済ませその納税の誠意を尽しております。

その内容は添付領収証記載のとおりであります。

領収証書

〈省略〉

第七点 原判決の刑は同種事件に比しても甚だしく苛酷に過ぎるものであります。

被告人は終始本件につき悔悟の情を示しており初犯者であり再犯の虞の全くないものであります。このような本件に対する量刑は他の同種事件に比して苛酷に過ぎるものであります。

原判決もその判決書五二頁に

「しかしながら、他方、本件については、被告人加藤にも一半の責任があることは否定できないうえ、被告人金は、自己の非を捜査段階から認め、当公判廷においても再びこのようにな犯行には及ばない旨述べていること、本件につき修正申告をしたうえ、一部納付を了し、その余についても今後努力する旨述べていことるなど改悛の情のみられること、(また、修正申告後、手持株を売却して納税に充てようとしたが、もとより被告人金自身の選択とはいえ、被告人加藤から関係株の売却を差し止められたことで税額の一部支払に止め、売買益もほとんど株式の新規取得に向けていたところ、前示のように、昭和五六年に至り、その所有株が大暴落を来し、これにより多額の損失を被るなどしたこと、相当の資産が差し押さえられていて今後の納税が期待できる状況にあること、その他、相当期間勾留されていたこと、前科前歴のないこと、病妻のいる家庭の状況等斟酌すべき事情が認められる。)しかし、前示のような諸事情に鑑みると、その他有利な事情の一切を考慮しても、被告人金に対しては、主文程度の実刑は止むを得ないものと思われる。」

と判示し、

被告人の改悛の情が顕著である事を認めております。また、他の弁護人主張の酌量に値する各事実についても一応これを挙げていただいてはおります。然るに拘わらず被告人に対して主文程度の実刑は止むを得ないものと思われる。としている点はこれを理解に苦しむところであります。

もとより刑には、一般予防のための刑も必要でありましょう、そして巨額ということもこれ決する一資料には違いないのでありましょう。

しかし乍らそれはあくまで一般予防に対する資料であるに過ぎず、特別予防的見地からは全く意味のないものと言わざるを得ず、これのみを以て量刑の主要事項とすることは「目には目歯には歯」時代の考え方に基づく評価であり現代の刑事政策を主要に考える裁判の在り方とは遠いものであります。

そもそも所得税法違反なる犯罪の本質は国民の国の財政に寄与する納税義務を果たさせるための行政取締罰則に違反するもので本来行政犯たる性格を有し、自然犯たるの性質に乏しいものであります。しかし近代に至つて、それが計画的になされ不正手段を以て税を免脱しようとする者が増加し、国民の唯一の義務を免れようとするに至つたため、国家財政維持の大局的見地からこれが自然犯視され自由刑をも科せられるに至つたのであります。従つて逋脱犯たるには、不正の手段による」としての反倫理性の強いものに対してのみその適用を視るところであります。

従つて従来の判決例を今表にしてみますと次のようになつております。

すなわち

表3

第一審事件の終極人員及び判決内容

〈省略〉

〈省略〉

1 司法統計年報による。

2 ( )内は禁錮刑

この量刑の実情に着目してみますと所得税法違反についてはおおむね納税義務者と脱税行為者が重なつておるため自由刑と罰金刑が併科せられるケースが殆どでありますが、その自由刑について見ると、その殆どが執行を猶予されており、昭和三〇年代以降昭和五四年迄は初犯者に実刑を言渡されてこれが確定した事案は皆無に等しい状態でありました。(法律のひろば三五巻六号六頁乃至八頁、同一八頁)

五五年以降五七年三月末までに一審において実刑を科せられたものが九件ありその確定したものは四件に過ぎずいずれも巨額と言うだけでなくその業種自体がトルコ風呂ヌード劇場キャバレー遊技場等で而もその不正手段が営業主名義の借用、証拠湮滅行為の実行等極めて悪質なものや、累犯者で執行猶予不適格者であり(右法律のひろば一七頁乃至二〇頁参照)本件とは全くその質を異にする事案ばかりであります。

これを表にして見ますと(右法律のひろば六乃至九頁)となるのであります。

また最近における一〇億の以上の大口脱税事件は次のとおりであります。(右法律のひろば一二頁)

〈省略〉

右表のうち1の森脇将光の事件は他の恐喝未遂贓物故買等の事件と併合して科せられた実刑であり次順位の脱税王といわれた東郷民安の二六億に及ぶ脱税事件もその懲役刑は二年六月で三年間の執行猶予が言渡され、ねずみ講事件の内村建一の事件も二〇億一四一九万円の脱税額の事件であるに拘わらずその懲役刑は三年で三年間の執行猶予が付せられているものであります。

また、先に述べた昭和五六年六月二九日東京地裁刑事二五部判決も事情において相違するところはありますが、本件同様株式取引利益四億五五二三万八六〇〇円の脱税を認定したのに被告人を懲役二年三年間執行猶予の言渡をしているものでこれら巨額事件は何れも被告人自身が改悛し、しかも、客観的事情も全く再犯の虞がないからなのでありました。

被告人は既述のように右三者以上に極めて惨めな状態にあり而もその改悛の情も顕著なものであります。

何が故に被告人のみが実刑を科せられねばならない理由があるのでしょうか、原判決の「止むを得ないものと思われる」事の理由は那辺にあるのか、裁判の公平の立場からも理解に苦しむところであります。

むすび

以上縷々各点について、その酌んで頂きたい情状を申し述べて来ましたが、之を要するに原判決は、本件脱税の巨額さのみに目を奪われて実刑を課したものであります。

然し、元来所得法違反は曩にも申し述べましたように、所謂取締法規、行政法規違反の本質を有するもので、これが自然犯視されるに至つた所以は、国家財政維持という近代政治上の高度概念によつて申告納税制度という国民の良心に訴えた納税制の根本をゆるがすものとしての一般予防の必要があるからであります。

翻つて本件の内容を通観しますと事案そのものの内容に於いても被告人の犯意は極めて単純な無関心という程度の域を出ず、かかる反倫理性が極めて禾薄であるばかりでなく、納税意識の低劣さも一般庶民のそれに加えて証券業者の示唆によるものであり、さらには、その実質上の意識として脱税により得たる利益などという実感が全くもてないままに、その結末は、全財産の喪失という悲惨な状態に陥つておるものであります。

一方これを従来の実例から見ましても、前記のとおり、体刑を課せられたる事案もその大部分が執行を猶予され、トルコ風呂の経営者、ヌード劇場営業者遊技場営業者サラ金業者等が悪質な証拠湮滅行為を伴つた脱税事件等限られたもののみが実刑を課せられて居るに過ぎないのであります。これらの判決例の示すとおり、実刑を課するのは、その事案の反倫理性反道義性が自然犯のそれに等しく、そのため、申告納税制という国民の良心に訴えた納税制の根本を揺るがすものがあり、一般予防の必要があるからであります。

しかるに本件事案はかかる反倫理性に乏しく、しかもその所得とされた計数上の利益は全く画餅に帰し、あまつさえその全財産喪失が、相被告人加藤に対する義理と当局の政策的検挙によるものであることが明らかで、被告人は既にこれによつて十二分の制裁を受けているものと言うことが出来ます。

然るに原判決は全くこれらの諸点を無視し、単にその額面が巨額であるという一事を以て実刑を課したのは、

「心焉に在らざれば視れども見えず、聴けども聞えず、食えどもその味を知らず」の類でこれら諸点につき十分の配慮がなされたなかつたからで、その結果は全く「正直者が馬鹿を見る」「弱い者のみをいぢめる」と言われても致し方のないことは、証券会社の放任、相被告人加藤の処分との比較においてだけからこれを見ても明らかであろうと思います。

この様な被告人金に対して実刑を課したことは死屍に鞭つに等しく、原判決の判示主文のとおりとすれば被告人は一年二ヶ月の懲役刑のほか、とうてい納入することの出来ない一億円の罰金のため五百日の労役場留置を課せられ、合計二年六ヶ月の実刑を受けることとなり、弁護人らは心から同情の念に耐えないものであります。

裁判所の権威と信頼のためにもどうか原判決を破毀し情理兼ね備えた御判決あらんことを希い懲役刑に対してはその執行猶予、罰金刑に対しては出来る限りの軽減とその執行猶予を伏してお願い致す次第であります。

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